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鴨田 信

本当の自由を知っていますか?

更新日:2020年2月1日


本当の自由を知っていますか?

現在の日本では、憲法によって社会的な自由を保障されています。すなわち、私たちは社会生活で、個人の行動が他の勢力によって妨げられることがないわけです。企業の自由、契約の自由、財産・身体の自由、思想・良心の自由、信教の自由、言論・集会・結社の自由、政治に参加する自由、その他政治的目的のために行動する自由があります。

自由という言葉を「解放される」という意味で用いるなら、教育は人間を無学文盲から自由にし、医学による成果は多くの病気の治療により人々を自由にし、経済成長は日本を極度の貧困から立ち直らせ自由にしました。

それでは、私たちは敵意、争い、死への恐怖、ねたみ、怒り、不正、党派心、不品行、そして死そのものから自由にされているでしょうか?このような人間関係の問題をどのようにして解決していったら良いのでしょうか?私たちはすばらしい自由を保障されている反面、まだ解放されなければならない多くの諸問題を抱えていると思います。聖書はこのようなテーマについても論じています。

例えば、新約聖書のヨハネによる福音書8章31節にこのような話が書かれています。

イエスは自分を信じたユダヤ人たちに言われた、「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、本当にわたしの弟子なのである。また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう。」

この場面に登場してくるユダヤ人たちは、自分たちが本当は不自由な存在であることを認めず、「私たちはアブラハムの子孫であって、人の奴隷になったことなどは一度もない。」と反論しました。しかし、イエスが言おうとしたのは、彼らが人の奴隷か否かではなく、「すべて罪を犯す者は罪の奴隷である」ということでした。聖書は他の箇所で、「すべての人が罪を犯した」と言っています。(ローマ人への手紙3章23節)この言葉が真実ならば、私たち日本人も例外ではないことになります。そもそも奴隷とは、主人の意志によって支配される人ですから、罪の奴隷は罪の言いなりになって生きる人ということになります。

イエスは私たちが罪の支配から解放され、本当の自由を手に入れる道を教えています。罪こそが私たちのうちに存在する諸問題の根本的な原因なのです。私たちは、自分の目や肌の色を変えることができないのと同様に、自分たちの力で生まれ持った罪の性質を変えることも、取り去ることもできません。しかし、罪の問題を抱えていることを、勇気を持って認め、悔い改め、イエス・キリストを救い主として信じるならば、私たちの罪は赦される、と聖書は教えています。これがイエスの言う真理の一面です。赦された者は、神の裁きから救われ、永遠のいのちを約束されるばかりか、罪の支配から次第に解放されるのです。

今から約2000年も前に、私たち人類の罪の身代わりとなって、神の裁きを受けるために、イエス・キリストは十字架の上で死なれました。イエスが受けた裁きを、自分のためだと信じて受け入れる人に、罪の赦しと、永遠のいのちが約束されています。イエスが人類のために死なれたならば、日本人のためにも死なれたのです。聖書によると、イエスは墓に葬られ、3日目によみがえりました。死人がよみがえるなんて有り得ない話だ、と言われるかもしれません。

事実、イエスが十字架に掛けられた当時の多くの人々もそう思いました。しかし、500人を超える目撃証人たちが、間違いや矛盾のない証言をしたのなら話は別です。総督ポンテオ・ピラトもユダヤ教の指導者たちもイエスを墓に閉じ込めておくことはできませんでした。イエスが死からよみがえったことは、彼こそが神のひとり子であり救い主である動かぬ証拠の一つとなり、多くの人が希望の拠り所としてきました。

旧大日本帝国海軍で信頼されていた淵田美津夫指揮官は、ハワイの真珠湾攻撃を指揮した軍人でした。彼の武勇伝は一読に値するものです。彼は愛国心に富んだ家庭で生まれ育ち、かつては伝統に従って仏教を信奉していました。しかし、大戦後に、かつて日本の捕虜だったアメリカ人パイロット、ジェイク・デシャザル氏が語る体験談を読み、自ら聖書を手に入れて読んだのです。そして、彼はそれまでの信仰と生活に別れを告げ、イエス・キリストを信じたのです。「真珠湾の英雄がキリストに回心」という新聞の見出しは多くの同胞を驚かせました。彼は真理を知り、イエスの言う「本当の自由」を手に入れたのです。あなたも、聖書を学んでみませんか。聖書の言葉はあなたに本当の自由を見出させてくれます。



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