「仲間のために無⼼で頑張れること」
これは⼀⼈のラグビー選⼿がラグビーの良さのひとつとしてある記事に書いてあった⾔葉だ。彼はラグビーが「全員で勝つために、⼀⼈ひとりが全⼒で役割を果たす、⼀⼈ひとりが違う役割を担うスポーツ」だと⾔う。私はクリスチャンであり、キリスト教会で聖書から似たような⾔葉を学んだ。「部分は多くあり、からだは⼀つなのです。・・・⼀つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、⼀つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。あなたがたはキリストのからだであって、⼀⼈ひとりはその部分です。」(聖書1コリント12:20, 26〜27)⼈の体には多くの部分があり、それぞれが役割を持っている。同じように教会にも多くの⼈が異なる役割をもって集まっている。互いに苦しみ、喜ぶ関係は素晴らしい。だから共感できる。
ラグビーのチームにもいろいろなタイプの選⼿がいる。背が⾼い選⼿、低い選⼿、やせている選⼿、太っている選⼿など、体格の異なる1チーム15⼈が⼀つのフィールドで共存する。ポジションによって求められるプレーや役割が⼤きく異なり、どのポジションのメンバーが⽋けても勝利にたどり着けない。各プレーヤーがチームのために役割を果たして勝利する。そしてノーサイドの笛が鳴り、試合が終了すると、両チームとも健闘をたたえ合う素晴らしいスポーツだと思う。
⼀⼈が全員のために⾝をささげることは、イエス・キリストがしたことに⽐べることが出来る。「こういうわけで、ちょうど⼀⼈の違反によってすべての⼈が不義に定められたのと同様に、⼀⼈の義の⾏為によってすべての⼈が義と認められ、いのちを与えられます。」(聖書ローマ5:18)「⼀⼈の違反」とは最初の⼈間アダムが神の命令を破って禁断の⽊の実を⻝べたことだ。その⾏為によって、全⼈類が清い神の⽬に有罪となった。「⼀⼈の義の⾏為」とは神のひとり⼦イエスが全⼈類の⾝代わりとなって⼗字架で死んで、よみがえったことだ。このイエスを信じた⼈はみな永遠の命を与えられる。イエスは「⼈類」というチームのために⾃分を犠牲にしたのだ。
2019年のラグビーの世界⼤会では、20か国の代表チームが戦い、観る者とサポーターたちをわくわくさせている。この⼤会が美しいスポーツマンシップを世界に広めている。それと同じように、私はクリスチャン精神にのっとり、この福⾳を世界に広めたい。そして世界中の⼈々が互いに尊敬し合い、愛し合うように祈る。